キューブの140字で収まらない何か

ツイートはいつか忘れ去られてしまうけれど、記事はそう簡単には消えないからね。

卒業旅行 トルコ2週間の旅 9日目前半アンカラ編

アンカラ編までは頑張ってちゃんと書きます。

この後はイスタンブールに戻るんですけど、そこはダイジェスト化しちゃうかも。

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アンカラ観光の目玉、アタチュルク廟です。

腐敗と衰退を重ねた末期オスマン帝国は西洋列強により分断され、最終的に屈辱としか言いようがないセーヴル条約を強いられました。そこで立ち上がったのがケマル・アタチュルク。彼は類まれな軍才と列強の隙間での器用な立ち回りを武器にトルコ領を次々と奪還し現在の「トルコ共和国」を建国します。

ここは、今もなお強い崇敬を集める建国の父を納めた大きな霊廟であり、また彼の足跡を辿れる歴史博物館でもあります。筆者はアタチュルク大好きなんですよね。そしてこの場所の雰囲気もまた100%完全にツボ。

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 全景で見て頂くと分かるかもしれませんが、広々と開放的でありつつも華美な装飾がなく、質実剛健な仕上がりになっていることが伝わるでしょうか。

アタチュルクはその時代にしては珍しい現実主義者でありました。帝国主義下における全盛期オスマン帝国の再興や豪華絢爛な宮廷生活よりも、トルコ民族固有の領土(アナトリア半島)の奪還及び西洋文明を見据えた革命的な近代化政策を優先し、為政者としては大胆かつ堅実。

そんな彼の人となりを踏まえたのか、この霊廟は偉大さを象徴するように壮大でありつつも、シンプルで洗練された美の構造になっています。この完成された世界観まさしく筆者好みなんですよね。ここに来て本当に良かった。

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 中の博物館パートです。

アタチュルクの足跡を辿りながら現在のトルコ共和国が建国されるまでを映し出す展示構成となっており、彼の所有していた文物や戦闘を描いた絵画が置かれているほか、独立戦争に協力してくれた戦友についても触れられています。

2枚目のイスメト・イノニュもトルコ史上で重要な人物。アタチュルクの右腕として支え続けた他、第二次世界大戦ではアタチュルクの遺言を守り、列強に上手く取り入って中立を守った名将。伝記読んで以来気になっていたんですよ。

余談ですがこのアタチュルク廟にイスメトの墓もあります。ちょうど全景の写真を撮った辺りの真後ろですね。

展示が普通にめちゃくちゃ面白いし(トルコ建国史大好き補正)、場所の雰囲気も最高だし、あと有名な衛兵交代式も見れたので本当に良かったです。衛兵は動画で見た方が面白いと思うので「Anıtkabir」と検索してみて下さい。

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 アタチュルク廟を出た後はもう一つの名所であるアンカラ城に行こうと思ったのですが、下調べが雑すぎてとりあえず地下鉄のウルス駅に行けばいい!という大雑把な動きをしたところ無事迷子になりました。

そうして適当に歩いているとひと際大きな白亜のモスクを発見。Melike sultan mosqueらしいです。今調べたところ2017年に出来たごく新しいモスクだそうですね。今でも建築が続いているというのはちょっと意外です。

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ところで散歩のついでに現地のスーパーに寄ってみたらジャガイモが1kg 40円と激安でビビってました。あとトマトも激安。ピラウに使う米も売ってましたね。

前も話した気がしますがこうして安いからこそ主食になるんでしょうね。食文化の原点は価格設定にあるのかもしれません。

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アンカラの中心にあるアタチュルク像です。

一通り歩いてようやくウルス地区に帰ってくることが出来ました。google mapで見ると繋がってるように見えるけど、実は入口は一つしかないので無理でーすというパターンに引っかかっていたようですね。

ヘタに近道しようとしないで普通に行かないと迷子になると勉強になりました。目印でもあるこの像を起点にちゃんと観光してこようと思います。

 

写真で記事も伸びてるしこのへんで分割します。

次はアンカラ城にリベンジします。お楽しみに。